私が生まれ育った島、それが屋久島です。今も住んでますが。。。
屋久島は本州最南端の佐多岬から70キロメートルの所に浮かぶ、周囲約132キロ・面積約503平方キロメートルの円形の小島です。
南西諸島の一番北にある島なんですよ。
ちなみに、車で島一周するとだいたい2時間ぐらいで回れちゃうぐらいです。(本当に小さい^^;)
屋久島には九州で最高峰の宮之浦岳(1935m)を筆頭に永田岳(1886m)、黒味岳(1831m)、安房岳(1830m)などがあり、山頂付近では冬の間はいつも大量の雪が積もっているのがよく見えます。
屋久島では標高1000m前後の山を「前岳」、その奥の1800m級の山々を「奥岳」と呼ぶらしいです。
ちなみに私は屋久島人のくせに知りませんでした。(ToT)
花崗岩って知ってますか?
屋久島は屋久島花崗岩と呼ばれる花崗岩が上昇して出来た島なんだそうです。
しかも今現在でもマグマは上昇していて、1000年に1mずつ島が上昇しているらしいですよ!すごくないですか!?(一人で熱くなっているかも)
「ひと月に35日雨が降る」こう言われるほど雨が多いのも有名です。(有名かな?)
本当によく降ります。洗濯物を干すのに大変困ります。
なんと、1mm以上の降雨日数は166日、つまり2日に1回は雨が降っているんです!!
しかも30mm以上の雨は8日に一回降る計算になるらしいですよ。雨がキライな人にはたまらないですね・・・。
でも、こんな小さな島なのに、「○○では雨が降ってるのに××では晴れてるよ」ってことがよくあります。不思議ですね♪
世界で屋久島にしかない植物がなんと47種類もあるそうです。
その他、縄文杉に代表される樹齢千年を超える屋久杉と呼ばれる大杉のある大森林があります。
と言うか、海抜0メートルから約2000メートルまでがほとんど森林で、そのほとんどが国有林であり、大部分が国立公園に指定されています。
島なんですが遠浅の海岸や砂浜はあまりありません。
だから海水浴場もあまりありません。
でも、永田浜ではウミガメの産卵が見られます。私は一度も見たことありませんが。。。
昔はウミガメのタマゴを食べてたらしいですよ。
杉が多く、よく花粉症を心配する声も聞かれるのですが、意外にも屋久島で花粉症の人っていうのはあまり聞いたことがありません。
うちの旦那さんも屋久島に来る前から花粉症だったのですが別段ひどくなったこともなく、かえって楽になったぐらいです。
ヤクジカと呼ばれるシカとヤクザルと呼ばれるサルがいます。
どちらも3000頭近くいるみたいです。よく「ヒト2万、シカ2万、サル2万」と言われますが、そんなにいません(笑)
シカにいたっては、寒くなると山から下りてくるのですが暖かくなると登ってしまうのでめったに見られません。
あ!!そういえば、昔はヤクザルは食用として捕らえられていたらしいですよ?( ̄ロ ̄lll)
主要生産物として、ポンカンとタンカンと呼ばれる柑橘系の果物があります。
どちらも冬に出荷されます。
私は屋久島の原産だと思っていたのですが、どうやらポンカンは北東インドの原産で台湾から輸入されてきたものらしいです。
タンカンは中国広東省の原産でポンカンより後に導入されたみたいです。
お土産物としては、うちで販売している屋久杉工芸品やサバの生節などがあります。
ちなみに、お店や土産物屋では売られてませんが、海の潮がひいた時に岩にくっついている「磯もの」(たぶん屋久島弁)と言う貝は絶品です!!
食べるには、海に行って潮がひいた時に岩からはがさなきゃいけませんが。。。(その後、塩茹でしてくださいね)
最後にひとつ。。。一番大事なことを忘れていました。
屋久島は1993年12月9日、日本で初めて世界遺産条約の自然遺産登録地となりました。
これによって屋久島の名前が有名になり、観光客が増え、色々と屋久島も変わってきました。
この先、屋久島がどう変わっていくのか、屋久島に住みながら見ていきたいと思っています。
「屋久杉の工芸品を売っています」と一言で言っても「屋久杉」って何だ?と思う人もいると思います。
「屋久島に生えてる杉なんじゃないの?」と思ってる人もいると思います。
で、屋久杉って何なんでしょう?
まず、簡単に言ってしまうと屋久島では樹齢1000年以下の杉を小杉、1000年を超えた杉だけを屋久杉と呼んでいます。
どうですか?分かりましたでしょうか。それでは、さようなら(^0^)/~~see
you again!・・・っていうのは冗談です。怒られますかね(;´д`)トホホ
一般的に杉というのは成長が早く建築用材に適しているため、世界中で植林されています。
しかし材が柔らかく、削った面がでこぼこしているため精密な工芸品や細工物には不向きなんだそうです。
それじゃ、屋久杉って工芸品には向いていないのでは。。。( ̄□ ̄;)!?
ところがっ!!ここからが屋久杉の違うところです♪
「屋久島ってどんなところ?」で述べたように、屋久島の花崗岩地帯は栄養分が貧しく、そんな中で育つ奥岳の杉は成長がとても遅いのです。
そのため普通の杉並の大きさになるためにかなりの年月を要することから樹脂道には一般の杉の6倍近い樹脂が溜まり、また、年輪がつまっているため材が硬くなるのです。
木材は中心に近い部分を心材、その周辺を辺材といいます。
屋久杉は上記に記したように樹脂分を多く含んでいるため、心材は一般の杉よりもずっと濃い黒褐色をしており、また香りもひときわ濃厚となっています。
樹脂分の主成分は揮発性のテルペン類で、防腐・抗菌・防虫効果があり屋久杉の腐りにくい性質を作っています。
どれほど腐りにくいかというと、300年前に伐採された屋久杉の切株が現代までそれほど腐朽しないで残っているんですよ!!
屋久島では江戸時代、年貢を米の代わりに「平木」と呼ばれる長さ60センチ・幅10センチ程度の屋久杉の薄板で納めていました。
平木を作るには杉のまっすぐ伸びた部分が適していたため、やぐらを組んで3メートルから4メートルの高さの部分から伐採したらしいです。
そのため現在では森のあちこちに屋久杉の切株が見られます。
このような切株や伐採した後の残材は「土埋木」と呼ばれ工芸品などに利用されています。
これら土埋木は平木には向いていないという理由で残されたのですが、ところがどうして、その緻密な木目の乱れはとても美しく、工芸品にたいへん適していると言われています。
実は、林野庁の森林生態系保護地域になってからは屋久杉の伐採はもうおこなっていないそうです。
だから上記で述べたように土埋木や倒木のような昔の伐採の残材を利用して工芸品を作っているのです。
残り数限られた材のため、最近ますますその価値は高くなってきているらしいです。
それでは屋久杉伐採が本格的に行われたのはいつ頃からで、いつまでだったのでしょう?
どうやら本格的な伐採が始まったのは17世紀半ばだったようです。
16世紀末に屋久島を直轄領とした島津氏に泊 如竹(とまり じょちく)という僧が伐採の進言をしました。
それによって島津藩の伐採は200年続き、150万立方メートルから200万立方メートルの屋久杉が伐採されたそうです。
泊 如竹とは安房出身の僧で、京都の本願寺で学びました。
西日本を旅し、屋久杉のような大きな杉はどこにでもあるようなものではなく、また寺院や城廊の建設に需要が高いことを知り屋久杉の伐採を勧めることにしました。
しかし当時、屋久杉は神木としてあがめられていました。
そこで島民に伐採の説得をするため山中に17日間入り、「今後屋久杉を世のために伐採すべし。ただ斧を一晩根元にたてかけておき、斧が倒れた場合は伐採せず」というお告げを得て、人々の恐れを取り除きました。
これにより、本格的な伐採が始まります。
泊 如竹はこのことにより屋久島の経済を潤した人物として「屋久聖人」と言われているらしいです。
明治維新が終わり明治が始まるとともに、1873年地租改正が行われ屋久島の全面積の95%が国有地となりました。
これによって島民が自由に山にはいって伐採することが出来なくなり、生活の糧が奪われ、山林の所有権をめぐって裁判にまでなりました。
が、島民側は証拠がないとして敗訴。
しかしその裁判の翌年1921年、敗訴した島民が山林から得ていた今までの利益を国が保証する形で「屋久島憲法」が出され、保護林と伐採地域が指定されました。
1923年には伐採地域に営林署の小杉谷事業所が開設され、奥岳の大規模な伐採が始まりました。
その後、チェンソーの導入などにより伐採の速度は飛躍的に上昇します。
しかし・・・。伐採のスピードが上がっても当然ながら屋久杉の成長速度は変わりません。
大規模な伐採は奥岳の奥深くへと進み、山は裸同然の見るも無残な状態になってしまい「屋久杉の墓場」といわれたそうです。
小杉谷事業所はついに伐採する森林がなくなって、1970年閉鎖されました。
このような状況に対し、様々な自然保護団体が生まれ屋久島の自然を守るため活動を始めました。
また各学会などからもスギ林伐採中止などの要請が国や県に出され、国も環境庁を設置後、かなり積極的に自然の保護に対する姿勢をみせてきました。
国立公園特別地域の拡大や原生自然環境保全地域の設定などにより大規模の伐採もなくなり、自然保護運動の激しい動きも収まったそうです。
長々と書いてしまいましたが(これでもかなり省略したんです^_^;)、「屋久杉」がどんな杉で、どんな歴史を持つかお分かりになられたでしょうか?
どうですか?屋久杉工芸品に興味が湧いてきませんか?
残材を利用しているから残りに限りがありますよ。。。今のうちですよ。。。( ̄^ ̄)(フフフ・・・こんな手で売ろうとしている私( ̄ー ̄)ニヤリ)
毎年5月から8月ごろにかけて屋久島では永田のいなか浜や前浜、一湊浜、栗生浜などでウミガメの産卵が見られます。
屋久島はウミガメの上陸数が日本一多いとも言われ、産卵の時期になると多くの人が観察に訪れます。
ウミガメはこの時期になると外洋から屋久島にやってきて、沖の瀬や岩礁に集まって栄養や休養をとり、交尾します。
そして夜になるとメスだけが砂浜に上陸し、産卵するそうです。
そして1シーズンに2回から5回ほどこの行動を繰り返します。
満潮時でも海水につからないように、波打ち際から30m程離れた砂浜で産卵するようです。
ウミガメの産卵はトータルで約2時間弱かかります。
まず、夜になるとウミガメは波打ち際に近づいてきます。
ですが、すぐには上陸しません。
かなり警戒心が強いため、しばらくの間は波に揺られながら様子を見て、十分に安全を確認した上で砂浜に上陸します。
それから、口を砂につきさして浜の様子を調べ、ゆっくりゆっくりと産卵場所を探して歩きます。
この間にウミガメに近づいたり、光を照らしたりして驚かすとウミガメは産卵をせずに途中で海に戻ることがありますので、じっと我慢をして待つことが大切です。
産卵場所が決まると、前後の足で砂を掻き分けます。
体が砂に沈むぐらいの深さになったら、今度は後足を使って直径約30cm、深さ約60cmほどの穴を掘ります。
穴が掘れたら穴の端に後足を置いて10数秒置きに2、3個ずつの割合で産卵します。
産卵時間は約20分ほどで、1回の産卵で100〜140個ぐらいの卵を産みます。
これを2回〜5回ほど繰り返すのですから、1シーズンで一匹につき500〜600個の卵を産むこととなります。
ウミガメは産卵を始めると警戒心が弱くなりますので、この時に近づいて観察することができます。
ですが、むやみに触ったりフラッシュをたいて写真を撮るのはやめましょう。
産卵が終わったら後足を交互に使って穴を砂で埋めていきます。
穴が砂で埋まってきたら、今度は砂を押し固めてさらに砂をかぶせる作業を数回繰り返します。
そして卵が完全に埋まったら、次は産卵場所をカモフラージュするために砂を後ろに飛ばしながら進んでいきます。
そうしてウミガメは海に帰って行くのです。
爬虫類に属するウミガメの中で、日本の海岸で産卵するものはアオウミガメ、アカウミガメ、タイマイの3種です。
屋久島で産卵が見られるのはこのうちのアオウミガメとアカウミガメの2種で、ともに大型種で1mを超える固体も見られます。
アカウミガメは頭部が大きく、肋甲板が左右各々に5枚、もしくはそれ以上あります。
体は赤かっ色をしており、動物食の傾向が強く大型の無脊椎動物を主食としています。
が、その一方で海藻などの植物質も胃の中から検出されているようです。
卵の大きさは直径40mmほどで白色をしておりピンポン玉に似ています。
アオウミガメは頭部が小さく、肋甲板が左右に各4枚あります。
また体は青緑色をしており、植物食の傾向が強く、アマモ類や海藻を主食としています。
卵はアカウミガメに比べるとひとまわり大きく、直径45mm前後あります。
どちらともにかなり広い範囲を移動するようで、太平洋、大西洋、インド洋などの海域に生息しており、原則として産卵の時しか上陸しません。
そのためかなり遊泳に適した体型となっており、前足はヒレ状になっています。
また、頭や足は甲羅の中に完全に引込めることは出来ません。
現在ウミガメは世界的に絶滅の危機にある希少種であり、そんなウミガメを守るために鹿児島県では昭和63年6月に「鹿児島県ウミガメ保護条例」を制定しました。
これにより、鹿児島県内全域の海岸(海域を除く)で無断でウミガメを捕獲したり卵を採取したりすると罰せられるようになりました。
また、永田のいなか浜・前浜などでは観察期間・定員などを定め、申し込み式でウミガメの観察を行うようにしています。
(2001年6月現在、ウミガメの保護と砂浜の清掃活動資金として一人1000円必要です)
各自で直接ウミガメの観察のために砂浜へ行くことはご遠慮くださいとのことです。
ウミガメの産卵の観察に行こう!と思っている方は次の点に注意して楽しく観察してください。
・暗くなった海で騒がない
・海岸でライトやマッチなどをむやみにつけない。タバコも吸わない
・波打ち際をむやみに歩き回らない
・産卵場所にゴミ(空き缶、ビニールなど)を捨てない
・上陸中や穴掘中のウミガメに近づかない
・産卵中のウミガメにむやみに触ったり光を当てたりしない
滅多に見られないウミガメの産卵です。
マナーを守って気持ちよく観察できたら良いですね♪
是非、5月から8月始めごろに屋久島に遊びに来られる方はウミガメの産卵も観察していってみて下さい。
きっと良い思い出になると思います。
もっとウミガメについて知りたい!!と言う方は、LeadcoreさんのサイトASHINOKO ONLINEのコンテンツ「漁魔が行く(ウミガメ編)」をご覧下さい。
かなりウミガメ博士になれること、間違い無しです。
屋久島に生息する猿は「ヤクザル」、鹿は「ヤクシカ」と呼ばれています。
屋久島に一度でも遊びに来たことのある人なら、きっと見た人も多くいるであろうと思うのですが、突然道路の脇に現れたり、山道に姿を見せる猿が「ヤクザル」です。
一方、屋久島の山に生息する鹿、「ヤクシカ」はめったに人前に姿を現さないので、見られた方はとてもラッキーだと思います!!
ちなみに主人は、初めて屋久島に旅行に来たときに、いっぺんに山の中で戯れるヤクザルとヤクシカを見ることが出来た超ラッキー者です(^。^;)
さて、ところでヤクザルってなんでしょう?ヤクシカってなんでしょう?
単に屋久島に生息するニホンザルのことをヤクザルと呼んでいるだけなのでしょうか??
まずヤクザルとヤクジカの分類ですが、書物によるとヤクザル(ヤクシマザル)はニホンザルの亜種、ヤクシカ(ヤクシマジカ)はニホンジカの亜種とされています。
とは簡単に言っても、亜種って何でしょう?
分かる人と分からない人、どちらの方が多いのでしょうか?
ちなみに私は分かりませんでしたので、亜種も調べました。
亜種とは、生物分類上の種の下の階級で、種と独立させるほど大きくはないですが変種とするには相違点の多い一群の生物に用いられているものらしいです。
要は、ニホンザル・ニホンジカと比べると確かに異なる点は多いのですが、それ自体を独立させて区別するほど大きな違いはない、ということなのでしょう。
ならば、ヤクザルとニホンザルとの違いってどんなところなのでしょうか?
ヤクザルは、ニホンザルと比べて小型で、暗灰色がかった長くて粗い毛をもち、赤ん坊は黒っぽいのが特徴です。
また、体型はずんぐりしており、頭と尻が大きめなのですが足は細く、雄は成長すると、頭髪がモモ割れになることが多いようです。
行動パターンとしては多数の群れが互いに関係しあいながら生活するというニホンザルの行動をよく残しています。
戦前は島の人とほとんど接触することはなく野生として自然のままに生きていたのですが、戦後、ヤクザルの餌付けをしたことが短期間あり、また観光客が増えたことによって多くの人が餌をあげたために、ヤクザルが人間に慣れてしまいました。
その結果、ヤクザルが人里におりてきてポンカンなどの柑橘類が奪われるようになりました。
一般に言う猿害です。
ついに1967年には有害鳥獣に指定されてしまいました。
今でも農業に被害を与えるサルはなるべく射殺をせずに捕獲するようにしています。
なんと屋久島には古い時代にヤクザルを薬用・食用として捕獲していたこともあったようです。
ヤクシカの特長も、ヤクザルと同じようにニホンジカと比べ黒っぽくて子供のように小さいです。
また角の枝分かれも少ないです。
ヤクシカはスギ林がおもな活動域となっており、冬になると低地の照葉樹林帯に移動し、暖かくなると高いところに戻るという上下移動をしています。
はるか昔は狩猟の対象だったヤクシカも現在では保護獣となり、植林地を荒らす害獣として限られた数だけが捕獲されています。
めったに姿を見せないヤクシカですが、高山のヤクシカは人を恐れず、思わぬ距離で優美な姿を見せてくれたりします。
登山をしたことのある人の中には、すぐ目の前にヤクジカが現れた!!なんて方もいるかもしれませんね♪
ちなみに私は、山の中にある屋久杉工芸品を作っている職人さんの工房で、突然目の前に大きなヤクシカが飛び出してきてビックリしたことがあります(笑) |